輸入元様資料より抜粋
ワイン・マニアからパーカー100 ポイントゲッターへの道は徹底したこだわりから
ソノマ生まれのラッセル・ビーヴァンは、1995 年当時はアメリカ中西部に住みデンタルケア製品の会社に務めており、後に妻となる歯科衛生士のヴィクトリア・デ・クレシェンツォと出会います。
二人の共通の趣味はワインでブラインド・テイスティングを楽しんでいました。
その後多くの情熱的なワイン・ラバーとインターネットを通じて知り合うことになり、趣味が高じてウェブにワイン・コラムを書いたり、その取材やオフ会などを兼ねてナパ・ヴァレー、ソノマへ定期的にツアーを組み、様々なワイナリーを訪問し醸造家達と出会う機会が広がります。
フィリップ・トーニからはワイン造りにおける細部までの配慮を聞き、ボブ・フォーリーがどのようにして葡萄の収穫時期を見極めるのか(ラボに頼らず)を知り、グレッグ・ラフォレからはワイン造りにおいては些細な事でも慎重に検討しなければならないこと(それは例え小さな決定でも最終的にワインに多大なる影響を及ぼすから)を学びました。
2004 年にはソノマに移住、自宅の庭にシラーを植樹。
その年にビーヴァン・セラーズを設立。早速ナパ・ヴァレー、オークヴィルのショーケット・ヴィンヤード(後のピーター・マイケル自社畑オー・パルディス)のカル・ショーケットとの交流により葡萄を調達し、初めてのワイン造りをスタート。ラッセルは正式に醸造学校に行ったり、ワイナリーで研修することもなく、自身のワインを造ることになったわけです。
最初の葡萄が運びこまれた時に、ワイン仲間十数人に招集をかけ、素人の手作業で選果を16 時間もかけて徹底的に未熟な葡萄の粒を取り除くことに注力。
もう全員がヘトヘト状態になったその当時の事が今でもワイン造りの大事なポリシーになっている。自分のテイスティングを信じ、造りたいワインを強く念頭に置き、葡萄の調達から、醸造に至るまで徹底的にこだわることがビーヴァン・セラーズのポリシーであり初ヴィンテージから現在に至るまで貫いていることである。
栽培家やワイナリーオーナーと密接な関係を築き、ヴィンテージ毎に畑を増やし、シングル・ヴィンヤード名ワインを中心に造り、数種のマルチ・ヴィンヤードのボルドー品種のレッド・ワインも造る。またソノマやサンタ・リタ・ヒルズからシャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、ピノ・ノワール、シラーも造る。2013年のプレミア・ナパ・ヴァレー・オークションにてトップ・ロットを獲得($75,000/120 本)。
同じ年むずかしい2011VTG にもかかわらず、遂にパーカー・ポイント100 点を獲得。その後も現在の2016VTG までに確定+暫定100 点を11 ワインで獲得するという素人から100 点満点ワインを造り上げるという離れ業をやってのけた。
造るアイテムは多いが各生産量は非常に少ない為、日本へは限定アイテムのみ、2016VTG の正式輸入がかないました。